そりゃ、私だって損得勘定はわかります。今のご時勢で本屋大賞を真っ向から批判するなんて、お利口な作家のすることではありません。
実は私は最後の無頼派作家なのかもしれません。酒場で飲んだくれメートルを上げ、借金塗れになりながらギャンブル依存症から抜け出せないだなんていうのは前世紀の無頼派で、今なら単なるネトゲ廃人、決して無頼派ではないと思います。
捨て身にならなければ書けない文章を公表するのが、真の無頼派作家でしょう。
さて、本屋大賞が決まりました。
対抗が大賞を取ったので、競馬なら予想的中です。でも自ら高いハードルを課し、「このギャンブルの採点は、予想した四作中三作が上位を占めたら、海堂の社会情報分析力の勝ち、ということで」なんて書いてしまったので、的中はしたけれど海堂の社会情報分析力の敗北でした。ではお約束の言い訳を。
この世界はカオスですね(笑)。
それにしてもすさまじい報道でした。テレビではNHKさえもが長々と報道に時間を割いていました。もはや本屋大賞は権威になったのです。
アナウンサーが「書店員が一番売りたい本が決まりました」と連呼するたびに、ああ、本屋大賞とは書店員の、集団的自己顕示の発露企画だったんだな、と思いました。
同時に私の批判の根幹、「多様性を破壊する過剰な一極集中」は、こうした一連の報道ので却ってあからさまになりました。
文学賞は「本屋大賞ひとり勝ち」、文学界の主役は作家や書評家から、書店員に移ったようです。書店員のみなさんは文学的に、長年作家を続けてこられた大先生や書評家を越える影響力を持つスーパーパーソンになったのです。
いやはや、お見それしました。
今の書店は、料理屋で言えば、シェフの作ったメニューより、ウエイトレスのお薦めが売れる店になってしまったようです。素晴らしい料理で勝負する一流レストランではなく、料理に付随した何かに重点を置いたメイド喫茶みたいなものなのでしょう。
本屋大賞を批判した際、「本屋大賞の特集号の雑誌をみてください。そこにはたくさんのおすすめしたい本が載っています」なんてコメントが多数ありました。