私は、法医学者はこのトライアルに参加しないだろうと予想しています。その結果、医学的にも重要な知見が日々、誤診され、見過ごされていくことになる。自分たちの既得権益を守るため、あるいは捜査の冤罪発生源を維持し続けるために、法医学者はAiの適切な導入に反対し、解剖に固執し、市民社会に不利益を与え続けている。
法医学者のみなさんも、たまには警察捜査や自分たちの既得権益を守るためだけではなく、市民社会のためという大局的な観点でものを考えていただけたらと願ってやみません。
最後に蛇足ながら。
医学界の人たちは書店のことは知らず、書店員は医学界の深層はわかりません。でも私がしてきたのは、自分の土台になる業界の問題点に踏み込んで批判する、ということです。
それがどんなに大変なことか、ストレスフルで勇気がいることなのか。
法医学者や書店員は、法医学者にとっての法医学者批判が、そのまま読み心地としては、書店員に対する本屋大賞批判になる、と考えれば、その大変さを実感できるのではないか
な、とふと思いました。
逆に言えば現在の法医学者の体質や、本屋大賞の問題点を指摘することは、戦時に軍部批判するくらいのプレッシャーがある、とも言えます。
その証拠に医療現場や法医学者の人たちは、こうした問題に口を閉ざしたままですし、本屋大賞批判は、私に追随する作家はほとんどいません。誰もが現状の問題点をうすうす感じていて、同じような気持ちを持っているはずなのに。
みんな右顧左眄してじっと様子を窺っています。何よりの証拠は、私の批判に追随する作家はほとんどいない代わりに、そんな私を批判する作家もまったくいません。
その上、本屋大賞を擁護する作家もごく少数しかいません。そして擁護する発言をする作家はたいてい、地域で独自展開している本屋大賞のミニチュア版に関わっている人たちばかりのような気がします。
その意味では、私は常に捨て身で文章を書いています。
ですので一連のツイートの中で、私に対するもっとも不適切な批判は「海堂は安全地帯から本屋大賞を批判している」という記述だと感じた、ということをお伝えして、今回のブログを終えたいと思います。
現代において、もっとも安全地帯からの批判とは、今、戦前の軍部や特攻隊を批判することだったりするのですから。
まあ、作家なんてみんな、本来は無頼者のはず。それがお仲間同士で肩を寄せ合い、言いたいことを自主規制するようになったら、おしまいですね。