問題点④ 匿名の投票者の存在
今回、こうした本格的な批判をしたために、初めてじっくりと本屋大賞特集号を読みました。驚いたのは、匿名のコメントがたくさんある、ということです。
書店員が胸を張ってやる素晴らしい企画であるなら、匿名の投票者がいるのはおかしい。匿名でなければ投票できない人の存在で、本屋大賞の暗部が見えてきます。
もし集計の際、水増しといういかさまが行なわれている、としたら......。
こう言えば「本屋大賞は公正に投票しています。信じて下さい」と反論するしかないのでしょうが、匿名投票があれば投票数の操作は簡単で、説得材料にはなりません。
特に大賞受賞のコメント欄の匿名の多さには、ちょっと不自然さを感じました。
書店員が匿名投票せざるを得ない理由は、簡単に想像できます。
書評や帯の推薦文を書いたのに、その本に投票しなかったことが版元さんにバレるのが怖いのでしょう。つまり匿名投票者の存在こそ、本屋大賞に絡んで書店員が有形無形の利益供与を受けている、という間接的な証明にもなってしまいそうです。
そんな邪推を避けるのは簡単で、投票者の全氏名と投票作品を掲載すればいいだけです。そうすれば本屋大賞が建前として主張している、大賞作品に一極集中させたいわけではないということも証明でき、効率的です。
匿名でしか投票できないような書店員は、本屋大賞の主旨から外れているはずです。
そう言えば最初のブログを書いた後、本屋大賞に積極的な書店員と思われる方のツイッターに「書店員がみんなで楽しくやっている企画に水をささないでほしい」というものがありました。今回、批判への反響を総括してみて、その言葉の意味するところがよくわかりました。ただしその言い方は少し不正確でした。
「書店員が甘い汁を吸える企画に水を差さないでほしい」というのが、本当のところだったわけです。
問題点⑤ 「議論」と「対話」なき大賞決定方法
本屋大賞の最大の問題は、その選考法が無思考的だということです。
先日、日本医療小説大賞の選考会を経験しました。五冊の作品について大賞を決めるわけですが、自分の中の順位と他人の意見が違うということが、議論でわかりました。そして最初の単純な多数決とは違う印象で選考会を終えたのです。
ふと考えたら、本屋大賞には文学の評価において候補作について議論し、他人の意見を傾聴し、自分の意見を鑑み、新しい価値観を創造するという、重要な過程がすっぽり抜け落ちていることに気づきました。
文化を構築する上で大切な「対話」と「議論」が、本屋大賞の選考過程には存在していないのです。なるほど、批判をスルーする書店員が集う賞だけのことはあります。
本屋大賞の特集号には種々雑多なコメントが並んでいますが、ひとりひとり好き勝手に感想を述べているだけでまさに玉石混淆の羅列、重層的な深みはまったくありません。
このままでは本屋大賞は文学的、文化的な企画にはなりません。文化を構築するための基本である「対話」と「議論」が欠けているからです。