閉鎖的と言えば、病理学会も負けていません。春の病理学会ではAi関連の演題は皆無、わずかにコンパニオンミーティングというエキストラの集会が併催されるだけ。しかも、発表者はAi学会の主立ったメンバーなのに主催は「病理画像と死後画像研究会」なる、得体の知れない会になっています。
実はこれ、病理学会のコンパニオンミーティングに申請しても、学会と名の付く会の併催はダメだと言われ、Ai学会の名称で登録できないための苦肉の策だったのです。
ところがプログラムを見ると、今回のコンパニオンミーティングでは、「日本脳腫瘍病理学会」とか、「日本婦人科病理学会」の名称の会が併催を許可されているようですので、来年度は堂々とAi学会でコンパニオンミーティングを申請できるでしょう。
ただし残念なことに、病理学会本体にはAiのセッションはひとつもないようです。
さて、ここで私のブログでの主張を思い出してみてください。
かつて私は、「Aiに関する研究実績がまったくない病理学会の重鎮が、Aiに関する厚生労働省の班研究の主任研究官になるのはおかしい」と批判しました。
どうやら結論は出たようです。私の批判は正当でした。
それは病理学会にて、Aiに関する演題が消滅したことからも明らかです。
やはり病理医を主任研究官に任命したのは不適切だったのです。でも、自分の言い分が正しかったことが証明されたことより、そのためにAiの社会導入がねじ曲げられ、死因究明制度の構築が遅れ、市民社会に不利益をもたらしてしまったことが慙愧に堪えません。
こうしてみると、法医学者だけを責めるのは、ちと不公平かもしれません。