ブログで抗議したことで、知らなかった情報も得ました。本当かどうか、私には確認する術はないのですが、以下ツイッター情報を引用しましょう。
・投票参加書店には参加書店用注文用紙が用意されていて、規模の大小にかかわらず欲しいだけの配本はしてくれますよ、ということだけは言いたい。
・本屋大賞に参加するのは、参加すればノミネート作品・大賞作品の注文配本を優遇してくれるから。おかげで地方弱小書店にも9日に大賞本が80冊入荷する。
確かに、そんな配本優遇特典なんて知りませんでした。事実誤認はありましたが、微修正すれば主張は変わりません。本屋大賞に参加すると満数配本してくれるけれど、加盟しないと満数配本はしてもらえないということですから以下、訂正部分だけ抜き出します。
② 取り次ぎは、巨大ナショナルチェーン店→本屋大賞参加店に優先的に配本する。
③ 巨大ナショナルチェーン店→本屋大賞参加店はがっぽがっぽ儲かる。
(中略)
⑧ 本屋大賞に加盟していない町の小さな書店は儲けがなくて、潰れていく。
⑨ 書店が減少する。
「本屋大賞に加盟すればいいじゃないか」という声が聞こえてきそうですが、そうした同調圧力こそが書店の多様性を失わせ「本屋大賞栄えて本屋滅ぶ」ということになる、というのが私の意見ですので、上記のような微修正で済むのです。
むしろ問題は本屋大賞に参加した書店員が、これまでこうした仕組みを公言してこなかった点です。あれだけ大々的に報道するなら、優先配本の仕組みにも言及すべきでしょう。
もっともこれは単にメディアの取材力不足でもあるんですけど。
問題点③ プルーフ配布による、不当競争。
版元は「本屋大賞シフト」営業で、発売前に「プルーフ」という仮綴じ本を、本屋大賞のキーパーソン書店員に配布しまくるそうです。すると書店員は特別扱いされたおかえしに、一生懸命その本を応援しようとして、ツイッターなどで宣伝しまくるわけです。
こうして本屋大賞候補作が早い時点で絞られていきます。
そうした情報が本当なら、書店員が「候補作を自腹で購入している」というのは真っ赤なウソ、ということになります。また書店員が日頃接していて、いいと思った本を薦める、というコンセプトにも不明瞭な部分が出てきてしまいます。
プルーフで配られた以外の本の推薦はやりにくくなり、版元さんにプッシュされた本を推薦することになるからです。実はこれが本屋大賞のノミネート作が大手版元に集中する原因なのかもしれません。
もしこれが事実なら、本屋大賞への信頼は大きく揺らいでしまうでしょう。
プルーフが配られたかどうかは、書店員のツイートを見れば一目瞭然です。発売日と同時に、本の内容に触れて絶賛している書籍があれば、間違いなく事前にプルーフが配布されています。だって発売日と同時に内容を把握しているわけですから。
プルーフを配られる、本の帯に名を載せる、新聞広告の推薦文に名前が載る、小説誌に書評やエッセーを掲載する等々、本屋大賞運営委員の中心の、カリスマ書店員は一般書店員と違い、かくも優遇されていたのです。
書店員は階層化している。これでは本屋大賞に参加した末端の書店員は、単なる賑やかし、頭数合わせにされているだけなのかもしれません。
こうなるとその秩序維持に貢献しているのが本屋大賞だとも見えてきてしまいます。なるほど、そんな利権もどき構造があれば、キャッチコピーを変えてほしい、という私の要望など、無視されて当然でしょう。
こうした流れからすると、本屋大賞が栄えたことで一番割を食ったのは書評家の方々ですが、彼らも本屋大賞を受容し、中には尻尾を振っている人たちもいらっしゃるようですから、まあ、めでたしめでたしなのでしょう。
本屋大賞の大成功は、素人の多数の評価の方が専門家の書評よりもマーケティング的に役立つ、と公言されたようなものですから、自分たちの本業の根幹が否定されているようなものなのに。
いやはや、本屋大賞を支持している書評家のみなさんは、太っ腹です。
かくいう私も実は『チーム・バチスタの栄光』『ナイチンゲールの沈黙』『ジェネラル・ルージュの凱旋』(宝島社)、『螺鈿迷宮』(角川書店)、『ジーン・ワルツ』(新潮社)と、デビュー直後にはプルーフを作ってもらっていました。当時は事情がわからないまま無邪気に喜んでいましたが、事情がわかってきた三年目からはプルーフ作製はお断りしました。
それは私が、本屋大賞に対して、本格的な嫌悪感を抱き始めた頃でもありました。
プルーフを読んでもらうと、発売と同時に書店で大きく扱ってもらえるので、版元さんの営業努力としては真っ当な行為です。
ではどうして本屋大賞では同じその行為を批判するのか。
マーケティングの一環で配布されたプルーフで読んだ本を、本屋大賞に推薦するという行為は本屋大賞の主旨とは相容れず、本屋大賞を信頼している読者に対する裏切り行為になってしまうからです。