付帯決議は条文ではありません。でも現実に社会適応させていく際、政令や条例に落とし込んでいく必要があるのですが、その際に、策定する官僚に強い拘束力を発生させるのです。
前も述べた通り法案は、「市民に対する情報公開については検討せず、ただ法医学教室に予算を与えるのに都合のいい条文」です。そうした問題点を感知した政治家、学会関係者、ならびに日本医師会の先生方が国会議員に陳情書を提出し、この問題を再考していただけたのです。特に日本医師会が正式に要請書を多くの国会議員に出してくださったのは、大変な効力を発揮しました。
付帯決議は次のようなものとなりました。
「3.遺族などの不安の緩和又は解消に資するよう警察及び海上保安庁は、死体を引き渡した遺族に対し、死因その他参考になるべき事項の説明を行うとともに、頭蓋遺族から調査等に係る記録等資料を提供するよう求めがあった場合にはその要請に応えること」
読めば当然だと思うでしょう。でも法医学者を中心に集った、この法案を策定した国会議員にとって、この付帯決議は当たり前のことではなかったのでした。だから条文にならず、だから付帯決議として議決されたのです。
付帯決議の意味と意義は重い。この付帯決議を無視や軽視をしたら、日本の行政が「市民に対する情報公開を怠ってもいいと思っている」→「市民のことをバカにしている」という結論になりかねないからです。まあ、この部分に配慮しない法律が作られた時点で、議員立法した民主党の国会議員が「市民をバカにしている」ことが透けてみえるわけです。でもその態度を官僚にまで感染させてはいけません。民主党が「市民をバカにしている」とわかったのは、消費税値上げの件でも原発再稼働の市民反対デモを無視している点からも、そしてこの法案の件からも明らかでしょう。
それにしても、ぎりぎりでした。これで市民社会の権利が、首の皮一枚で守られたのです。国民を軽視している点では、法医学会上層部も、民主党議員と同レベルだと思われます。法医学者に市民社会のためという視点があれば、こうしたことは条文作製の際に簡単に提案できたはず。でも彼らにはそんな考えはまったくなく、ただ自分たちの食い扶持の確保に夢中でした。
法医学者は警察から鑑定依頼を受けます。ですから雇い主の警察に逆らってまで遺族や市民社会のため情報公開をしようとしません。彼らに死因究明制度を作らせると、市民社会のためではなく、警察捜査のための法律になってしまうのです。その結果が、たとえば東電OL殺人事件でのネパール人ゴビンダさんへの冤罪になり、無実の人をかくも長く拘束させ続けたりするのです。その原因の大きな部分を法医学の鑑定が担っています。そしてそうした情報が公開されなかったことも。
けれども法医学会からそうしたシステムエラーに対する反省の弁はありません。
恐ろしいことですね。