Aiセンターを設置し、死亡した時の状態を遺族に詳らかに説明する大学病院と、なぜかAiセンターの設置を推進しようとしない大学病院。
患者としてかかるとき、どちらを信頼し、受診を選択しますか。
Ai情報を原則に基づき、第三者の診断も受け入れながら公開する医療と、なぜかAiという言葉を避けて死後画像と名付け、表立った議論することなく法制化の網をかけようと裏で画策している警察。
ひとりの市民として、どちらを信頼し、支持しますか。
私は、やみくもに法医学者を責めているのではありません。死後画像診断に対して不誠実な対応をしている一部法医学者を非難しているのです。
その証拠に、上記の医師会シンポジウムには、大阪大学法医学教室の飯野守男先生にもご発表いただきました。
飯野先生はAi学会創設当時から自発的に学会参加されていて、その後、スイス・ベルン大学のヴァートプシー講習会に参加されたり、オーストラリアのビクトリア州の施設で一年間、解剖ではなく死後画像診断に専任するような留学をしてきた方です。
つまり現在の日本法医学会でただひとり、画像診断をするだけの素養を持ち合わせている法医学者なのです。なのでブルーバックス「死因不明社会2 なぜAiが必要なのか」でも、一章を執筆していただきました。
それだけの素養を持つ飯野先生さえ、大阪大でのAi実施に際しては「放射線科医の先生に診断協力していだきたいと考えているのですが、まだ対応できておりません」と嘆いている。
そうした謙虚な法医学者の言葉がAiの適切な導入には必須で、でないと冤罪の温床を改革できない組織が拡大再生産されてしまうことになるだろう、と危惧しています。
警察庁が、一部の法医学者たちの言葉にしか耳を傾けず、「Aiという用語を、警察では使わないんですよ」とこっそりと発言し続けるようであれば、いずれ警察は市民社会からそっぽを向かれてしまうでしょう。
それは警察にとっても悲しむべきことです。一部の法医学者の言葉によって、警察が持っているはずの市民社会に対する善意がねじまげられてしまうのですから。
警察の方々は、なぜAiがここまで市民社会から支持されているのか、一度、社会に対して目を見開いて、冷静に考えてみることをお勧めします。
それには、法医学者以外の人間の言葉に耳を傾けること、それが大切です。
警察庁は有識者による「犯罪死の見逃し防止に資する死因究明制度の在り方について」という報告書を元に、関係省庁を巻き込んで、新しい死因究明制度の構築を、なぜか大急ぎで行おうとしています。関係する政治家などにも説明に回っているようで、なんと今年度中の法案提出を目論んでいるのだとか。
まさに愚策拙速、という言葉がぴったり。