三番目は、睡眠薬の投与量ミスで死亡した症例で、やはり医療事故として扱われたのですが、血中濃度が薬物動態上ありえない数値だったそうです。そのような高値を取ることは薬理動態上不可能だそうで、すると計測ミスかデータ捏造しかありえないわけです。でも、そんな滅茶苦茶な鑑定をした法医学者も罪に問われていません。
そうしたことは誰もチェックできず、裁判にならなければすべて闇の中です。これが警察が維持しようとしている仕組み、そしてAiもその中に組み込もうとしている仕組みなのです。こうしたトンデモ法医学者が現実にいて、問題を起こしながらも、その事実は市民に知らされず、トンデモ法医学者は責任も問われることもなく、今日ものうのうと業務を続けているのです。
これって、恐ろしいと思いませんか?
テレビでは法医学者が神のような診断能を発揮する番組が垂れ流されています。これまではそれでよかったのでしょう。でも現実は違うということを、そろそろ理解しないと大変なことになります。こうした事態を抑止するには、施行令にきっちりと情報公開の原則を組み込むことです。でも警察は刑事訴訟法47条を楯に取り、そうした動きを骨抜きにしようとするでしょう。そうした動きは市民社会のためではなく、警察組織の自衛のためにのみ行なわれることですから、そんなことになったら、警察の本性が明らかになるだけです。市民のみなさん、施行令制定の行方を注目しましょう。注目点はただ一点、死因の情報公開を警察が認めるかどうか、です。あと、新聞やテレビが、どんな報道をするかも注視した方がいいです。彼らの馴れ合う様子を目の当たりにできるかもしれませんから。
死因は捜査情報ではありません。犯人が捕まる前に死因が報道されることは頻繁にあります。死因が捜査情報なら、漏らした警察関係者は捜査情報漏洩罪に問われるはずですが、そんな話は聞いたことがありません。
これからは死因情報は公開し、司法解剖の実態を外部監査するシステムと連動させることが必須になるでしょう。そうしなければ警察は延々と冤罪を繰り返す、愚かな組織に成り果てる。情報公開を忌避する法案を、一部民主党議員と警察官僚と法医学会一部上層部で作り、通過させようとした警察庁が、施行令策定にあたり付帯決議についている情報公開についてどう対応するのか、注視しましょう。本来、こうした権力監視はジャーナリズムの本懐ですが、残念なことに、どうも昨今の大メディアはそうした気概に乏しいようです。