海堂尊 - 第四回『このミステリーがすごい!』大賞(『このミス』大賞)大賞受賞作『チーム・バチスタの栄光』の著者

『海堂ニュース』最新ネタ満載!

2018.04.27 2018:04:27:20:37:46

もう何が何やら、ひっちゃかめっちゃかな怒濤の春の嵐

 いったん終わりにしたものをごそごそ復活させるのは、あまり格好いいことではなく、自分の美学にも反するのですが、世の中には自分の思い通りにならず、運命の奔流に流されざるをえないケースもありまして、またそんな奔流に悪乗りしてしまうようなタチもあり、こうして再びこの「海堂ニュース」を書く羽目になったのでありました。

 振り返れば2012年春、死因究明関連2法案が国会を通過して「死亡時画像診断(=Ai)」という文言が記載されたことで私の仕事は一区切りがついたので、主にAi推進のために連載していた海堂ニュースも終えるのが筋かな、と決断した当時の私を褒めてあげたい。

 ただし作品のドラマ化・映画化が立て込んでいたので、結局止めるまで二年かかったのですが、それでもたぶん海堂尊は「引き際のよさでは群を抜く作家」なのでした。

 それも「玉村警部補の遍路地獄道」(当時の仮題)を2014年中に書き上げるという水面下の密約があったためスムースに行ったわけですが。


 今回、こうしておめおめとブログを再開させたきっかけは『ブラックペアン1988』ドラマ化、『スリジエセンター1991』文庫化にあたり「In☆Poket」という雑誌に寄せた小文のせいでした。そこに私はうっかり『「バブル三部作」(黒本シリーズ)は私の原点である』と書いてしまったのでした。

 それに目を留めたのが『玉村警部補の巡礼』の仕上げに久々にご登場の編集Sさんです。

「あの、素晴らしい文章でとっても楽しく読みました」と掴みはばっちりの言葉の後、「でも」と続きます。

 あ、何だかイヤな予感......。

「でも、あの、海堂さんの原点は『バチスタ』なのではありませんか?」

「え? いや、まあ、それはそうなんですけど、でも、桜宮サーガと呼ばれる物語群の中ではブラックペアンが起点でして」

「でしたら『桜宮サーガの起点である』と書かないと不正確ではないでしょうか」

「あれ、そう書いてありませんでした?」

 すぐさま雑誌の現物を取り出して証拠の該当ページをぐい、と突きつけ容疑者・海堂を追い詰める敏腕刑事、ではなく、敏腕編集Sさん。

「あ、本当だ。変だな。疲れてたのかな、ははは」

 動かぬ証拠を突きつけられ言い抜けに失敗した私を見遣りながら、編集Sさんは続けます。

「まあ、私も、済んでしまったことを、あまりとやかく言いたくはありません。でもさすがに『玉村シリーズが超傍流』という表現はいかがなものかと」

 でも玉村警部補シリーズが物語の本筋からのスピンアウトで、しかも巡礼となると更にそこからはみ出る話なので、そうなると超傍流としか言いようがない、というのが本音でした。


『巡礼』刊行の発端は2014年8月に遡ります。Ai推進運動に一区切りをつけた私が、さて次は何をしようかな、と思っていた矢先にふと、遍路に行ってみようか、と思い立ったのは、たまたま岡山での講演会があった時のこと。私は地方で講演すると二、三日あたりをふらつくのが常ですが、岡山はそれまで何度か訪れていたので、別の場所を見繕おうと地図を眺めたら、鉄道なら岡山から四国が近いと気がついたのです。その時、徳島という地名が目にとまりました。徳島と言えば阿波踊り、鳴門の渦潮、そして遍路発心の道場です。

 もともと遍路には興味がありました。かつて『ナイチンゲールの沈黙』に登場した加納警視正が部下の玉村警部補に「ドジをしたら遍路送りにするぞ」となぜか脅していたので、一度は遍路に行ってみたい、と思っていたのです。なのでとりあえず試しに一泊二日で最初のいくつかの寺を参拝して、様子を見てみようと考えたのでした。

 ところが一番寺に行ってみると、2014年は遍路開創1200年の記念年で、普段は納経帳に3つの朱印しか押さないのに、その年は期間限定で4つめのカラフル特別記念印が押されるというではありませんか。しかも梵字の赤札まで一枚おまけについてくる。 

 この「特別」とか「期間限定」という言葉が、どれほど人の射幸心を掻き立てることか。 

 初回の遍路を一泊二日で吉野川北岸に点在する阿波十里十寺を打ち、最初の遍路転がし・焼山寺手前で止めた私ですが、こうなると凝り性なので2014年度中の結願をめざす気になりました。しかもついでに玉村と加納の二人も遍路に行かせ、四国四県で各県でひとつずつ事件を解決させれば、遍路が結願する頃にはあら不思議、短編集が出来上がりで一石二鳥ではないか、と思いついたのです。それにうまくすれば四国でバカ売れするかも。更に好都合にもその年はたまたま高知と松山で講演予定があり交通費が浮く。そんなセコいことを考えたのもやむを得ない、だって四国って東京からは意外に遠いんでございますのよ、奥さま。おほほ。

 家では父が二年前に亡くなりその供養という大義名分で、公私ともに動機づけを終えた私は、2014年9月下旬に5泊6日で遍路転がし・焼山寺を打ち、お鶴・太山という第二の難所も越え、へろへろになりながら発心の道場・徳島遍路を終えたのでした。

 遍路をしていると、先達の人たちがいろいろ教えてくれて、だんだん様子がわかってくる。

 たとえば19番の立江寺へ向かう途中、渓流の水を飲もうとして足を踏み外し捻挫したのですが、立江寺は阿波の関所寺で罪を犯したり邪心を持つものはそこから先に行けないのですよ、という話を宿坊で聞いて思わず我が身を振り返ったりと、いろいろ経験しました。でもそうしているうちに物語の構想が湧水のように浮かんで、帰宅すると第一話の初稿を一気に書き上げてしまいました。そして気がつくと私は本格的に遍路にのめり込んでいたのです。


 そんな風に私は遍路の理解を深め、阿波23寺「発心の道場」、土佐16寺「修行の道場」、伊予26寺「菩提の道場」、讃岐23寺「涅槃の道場」と呼ぶと知り、私の物語世界ではパラレルワールドぽく大阪をナニワと表現していたので、徳島は阿波県、高知は土佐県、愛媛は伊予県、香川は讃岐県と変換し、各章タイトルに発心、修行、菩提、涅槃の言葉を入れようと決めました。(自らこういう無意味な縛りをするから執筆のハードルが高くなるんですが......)。

 こうして遍路ハイの状態で2番目の高知に突入し10月下旬、一週間の時間で土佐遍路の半分を打ちました。徳島最後の薬王寺から出発し室戸の最御崎寺まで、ウミガメの浜を見学しつつ国道55号線を丸二日間ひたすら歩き室戸岬の最御崎寺に到着するという、物語の加納・玉村コンビと同じ行程をたどりました。途中、水床トンネルを通り抜け高知県に入った時の青空と白百合の印象とか、室戸の岩場の海岸で素っ裸で泳いだり、イシガキチョウを初めて見たり、というエピソードは実体験だったりします(さすが南国土佐、10月でも泳げました・笑)。

 番外霊場・御厨人洞で海と空だけの相を見ながら、海岸沿いの来し方の道で延々と同じ風景が続いていたことをしみじみ考えていた時に第二話「修行のハーフムーン」の構想を思いついたのです。若き真魚が虚空蔵求聞持法を会得し、以後空海と名乗ることになる場所で、私は遍路ミステリー作家を名乗ることになる構想を得たのでした。

 この三度目の遍路は「修行の道場」を半分打ち、高知市で終えました。この時も帰宅後、すぐに短編を書き上げました。ここまでは遍路も執筆も順調で、もともと最後の香川は『玉村警部補の災難』4話で登場したネクロ・デンティスト決着篇にしようと決めていたのでプロットはできていて、残るは3番目の愛媛のみ。この調子なら楽勝だ、と高をくくっていたのですが、そうは問屋が卸しませんでした。

 次は松江で講演会があった時に菩提の伊予を打ったのですが、講演会の主催者がご好意で遍路ハイヤーを手配してくれたのです。それまでは歩き遍路をしていたのですが、遍路開創1200年の期間中の結願が難しくなりそうだったので、ついついご好意に甘えてしまいました。人間は弱いもので一度ラクを覚えるととめどなく、残りの菩提、涅槃の遍路は電車やバス、あるいは知人に車を出してもらうといった具合に文明の利器を駆使する堕落遍路に走ってしまったのです。でも弘法大師はそんな私の堕落をお認めにならなかったのか、遍路がラクだった代わりに、物語の構想がまったく浮かんでこなかったのです。

 こうしてアイディアが浮かばないまま空しく時ばかりが過ぎ、遍路行脚は2014年度内の2015年3月に高知の青龍寺で結願し、1200年限定記念スタンプもコンプリートしたのに、肝心の物語は店ざらしのまま、というていたらくになってしまったのでした。

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