海堂尊 - 第四回『このミステリーがすごい!』大賞(『このミス』大賞)大賞受賞作『チーム・バチスタの栄光』の著者

『海堂ニュース』最新ネタ満載!

2018.04.27 2018:04:27:20:37:46

もう何が何やら、ひっちゃかめっちゃかな怒濤の春の嵐

  やがて私はキューバ革命の英雄チェ・ゲバラの生涯を描く「ポーラースター」シリーズに着手し、ラテンアメリカを頻繁に訪問するようになりました。実際に旅行で訪れる以外にも古本屋や古本市に足繁く通い、大量の収集参考文献の山に埋没し、身も心もラテンアメリカにどっぷり浸っていました。思えばあの頃はラテンアメリカ在住のような暮らしでした。

 2017年春、第2巻『ポーラースター ゲバラ漂流』を仕上げて秋の出版を待つ空白の夏、久々に気持ち的に日本に帰国し(笑)ドライブしていたある日の午後、カーラジオから、とある科学トピックが流れてきたのです。

 その情報が私の中でミステリー・ジグソーの一片にぴたりと嵌まったと思った次の瞬間、あっという間に第3話のプロットが出来ていました。その間わずか5分。

 3年も書けずに呻吟していた短編なのに、何と翌日には初稿70枚を書き終えていました。 

 こういうと簡単に聞こえますが、その科学的トピックを元にミステリーを成立させるために新宗教を立ちあげ、土着信仰まで採り入れる荒技で、書き上げた後も物語に整合性を持たせるため悪戦苦闘しました。その甲斐あってその辺のリアリティは納得してもらえたようで、先日ラジオ番組に出演した時パーソナリティの南美希子さんから「ああいう信仰って本当にあるんですか?」と聞かれたくらいでした。やった、これなら教祖もいけるカモ、と思った瞬間です。

 もっとも以前からAi教のエバンジュリスト(伝道師)などとも言われていたのですが。

 というわけで長らくの懸案だった第3話が仕上がると、一週間後にはプロットが見えていた4話もあっさり完成し、2017年8月に『巡礼』の骨格は完成し、翌2018年春刊行を目指し仕上げに入ったのです。でも人の記憶はいい加減なので、執筆を意識せず思いつきで書いた1話目の確認のため2巡目の遍路で徳島の最初の十寺を打ち直したら、書き直しが必要になりまた苦労しました。幸い二話目以降は執筆することを前提に遍路していたので、それほどひどい思い違いはありませんでしたが。

 残念だったのは『「このミステリーがすごい!」大賞作家書き下ろしBOOK』に連載した時に使った私の執筆史上最高の出来のダジャレ、「徳島線は得しません」という台詞を泣く泣く削ったことです。寺の位置関係を調べたら使えなくなってしまったのです。この機会にここで取り上げ、成仏させたいと思います。よろしかったら読者の方は初出時の短編と読み比べ、その台詞を削らなければならなかった理由を推理してみてください。正解者には著者からの賛嘆のメッセージをお送りします。なお発表は発送を以て替えさせていただきます(笑)。

 私は執筆に際し同じ歌を繰り返しヘビーローテーションするというクセがあります。ただし短編執筆時はあまりなく、前著『玉村警部補の災難』の時もテーマソングはなかったのですが、今回は苦労したせいか、各話にテーマソングがありました。少しややこしいので詳しく書くと8月の執筆時の第3話は「愛が止まらない」〈Wink〉、第4話「SWEET DREAMS」〈松任谷由実〉で、直しも含めて一週間ほど聞き込みました。

 9月の1話の推敲時には「真珠のピアス」、2話の推敲は「青春のリグレット」、3話は「ベルベット・イースター」、4話は「SWEET DREAMS」という懐かしのユーミン・シリーズでした。こうした努力の甲斐あって同じユーミンでも曲によって浮かんでくる風景が変わってくるという境地に達したのです。(一体何の境地やら)

 こうして長年の懸案だった『巡礼』にケリがつきつつあった2017年秋、母校・千葉大医学部の学園祭での講演を依頼されました。続いて大学執行部から、翌年の入学式でスピーチしてほしいという依頼がきました。何やら母校の方から生臭い、もとい、生暖かい風が吹いてくるのを感じたところに新潮社の担当Kさんから来春『スカラムーシュ・ムーン』を文庫化したい、というオファーが重なりました。

 ここで注目なのは『玉村警部補の巡礼』刊行、千葉大入学式での挨拶、『スカラムーシュ・ムーン』文庫化の順にきた2018年春の企画三本は、私から持ちかけた話ではないことです。これはたぶん遍路物語が無事結願した功徳なのでしょう。

 そこに突然「嵐」が襲ってきました。『ブラックペアン1988』ドラマ化のオファーです。最初に映画「チーム・バチスタの栄光」でお世話になっていたものの、テレビではご縁がなかったTBS、しかも日曜劇場という看板番組というから驚いたのなんのって。また執筆したのは十年以上前なので実感がなく、人物造形を崩さなければあとは何でもOKという大雑把な承諾をし、舞台を現代にしたいというオファーも容認しました。ちなみにオファー時には配役は決まっておらず、「嵐」襲来とはものの喩えでしたが、その後「嵐」の二宮和也さんが主役を務めると聞かされ、驚きは倍加したのでした。

 2018年春は相当派手になりそうだと考えた時、『スリジエセンター1991』を文庫化してもらうのは今しかないかな、と思いついたのです。そこで2018年春の刊行を打診したところ快諾いただき、2017年の年末は『玉村警部補の巡礼』単行本、『スカラムーシュ・ムーン』文庫、『スリジエセンター1991』文庫の三本のゲラが飛び交う、修羅場の師走となってしまったのでした。

 そこに年明け2月から週刊文春で連載開始する「ポーラースター外伝 フィデル!」の執筆準備が重なりました。本当は2017年9月開始予定が先輩方の連載が半年以上延びたのです。自分もよく延びるので異存はありませんが、おかげでとんでもない重なり具合になったのです。

 ところが修羅の年末を乗り切りほっとしたのも束の間、年が明けた途端に、私はまたしても「いいこと」(よからぬこと?)を思いついてしまったのです。

 三年前、ブルーバックス『死因不明社会』が絶版になりました。その前に文庫班から文庫化のオファーがあったのですがブルーバックス班が断ったという経緯があったので、このタイミングで『死因不明社会』の文庫化を提案したら案外通るのではあるまいか、と思いつき、思い立ったが吉日とばかりにお願いしてみたら、すぐにゴーサインが出ました。

 やりい。

 でも『死因不明社会』は2007年刊行の10年前の本ながら、今も通用する部分は多いのですが、さすがに現代にキャッチアップできていない部分があるのも確かです。

 ならばブルーバックス刊行後の10年を総括する補遺を加筆すれば問題は解決する、と思いつくまではあっという間でした。結局は、自分で仕事を増やしてしまったわけですが。

 あほか。

 さて具体的にはどうすればいいかな、と考えた時に頭をよぎったのがこの「海堂ニュース」でした。Ai関連のニュースは最後まで取り上げたので、総括すれば2014年までキャッチアップできる。加えて放言三部作『ゴーゴーAi』『ほんとうの診断学』『いまさらですが無頼派宣言』も書いてあり2014年までの素材は充分。すると残るは直近の三年ですが、行き詰まると私には天から蜘蛛の糸が、何本も降りてくることになっているのです。

 最初の蜘蛛の糸は北欧スウェーデンからでした。9年前の2009年10月、Ai情報センターの山本理事長がスウェーデン大使館主宰の「ヴィジュアライゼイション・セミナー」で講演した際に同行したのですが、2018年はスウェーデン・日本の国交樹立150年というめでたい年で記念パーティが開かれることになり、その席に招かれたのです(なんか、こんなのばっかり・笑)。このためAi情報センターの山本正二理事長、Ai学会の高野英行会長、Aiのブレイン塩谷清司部長と連絡を取り直近のAi情報の収集協力を要請し、『死因不明社会』執筆の際に学術部分を丸投げ、もとい、代筆してもらった塩谷先生には続編を依頼したところご快諾いただき、2007年から2018年のAi関連記事の膨大な資料、所謂「塩谷ファイル」も送ってもらいました。

 私は二月末から三月頭まで二週間ほど、ラテン美女の案内でディープ・キューバとディープ・メキシコを巡る取材旅行を予定していました。「フィデル!」連載も始まった直後で、どっぷりキューバに浸りながら執筆しようと考えていたのですが、そこにまさかのAi問題が乱入し、出発まで『死因不明社会2018』の追記部分の執筆に専念せざるを得なくなりました。そんな塩梅で追記の前半は何とか書き上げたものの後半は手つかずのまま、後ろ髪を引かれる思いで飛行機に乗り込んだのでした。

 もちろん全データ搭載ノートPCを鞄につめて、です。

 さて、キューバ自腹取材旅行の最中もこつこつと死因不明社会の追記部分を執筆していたのだろうとお思いのあなた、かの国はそんな辛気くさいことを許してくれるような国ではなく、また私もそんなに意志強固な人間ではありません。熱帯の楽園に足を踏み入れた途端モヒートとダイキリで頭はワヤになり、暑さと街角の音楽に身を浸しつつキューバ革命の足跡を追いかける従軍記者みたいな毎日で、『死因不明社会』のことは、かけらも浮かびませんでした。

 なので日本に戻ったら地獄が待っていました。そういえば「地獄」と「自業自得」って何だか語感が似ているなあ、なんてしょうもないことを考えつつ「塩谷ファイル」を読んでいたら、忘れかけていたAiの仇敵・法医学者たちへの怒りがふつふつと再燃してきたのです。

 あの連中、もとい、あの人たちは、この十年で1ミリも変わっていないではないか。

 こうなったらしめたもの、錆びついていた筆は一気に卍解、新章の後半部分をわずか一週間で書き上げたのでした。(ちなみに私のノンフィクション執筆時間は通常、フィクション執筆の十倍かかります)

 でも私の物語はいつも一筋縄ではいきません。書き上げてほっとしたのも束の間、そこに二本目の蜘蛛の糸が。今度は駒込方面、日本医師会が主宰する厚生労働省科学研究班の検討会に呼ばれたのです。すると何ということでしょう、そこに東京都監察医務院、大阪府監察医務院、兵庫県監察医務院という、現在稼働中の三都市の監察医務院の院長が雁首を揃えて、もとい、全員がお見えになり、現状をプレゼンするというではありませんか。

 当然私はすぐさま、研究会で得た最新情報を書き足し、新章は一層精緻になったのでした。

 そんなこんなで右往左往、四苦八苦の果てにようやく担当Hさんに初稿をお渡しした直後の打ち合わせの際、バブル三部作(自称)『ブラックペアン1988』『ブレイズメス1990』『スリジエセンター1991』の三冊にドラマの登場人物がずらりと並ぶ豪華帯を巻いてもらえることを知らされ、一足先にその写真を見せてもらいました(役得)。

 その瞬間、またしても悪だくみが浮かんでしまったのです。

 Ai推進メンバーが白衣姿で並ぶ写真をドラマ帯に似せて載せれば、間違って嵐ファンが買ってくれるかも。そんな下心を隠しつつ、おそるおそる提案してみると、「面白そうですね」とHさんも話を合わせてくれました。彼女はご存じなかったのです。私の企画モノは時に怒濤の勢いで成立してしまうということを。打ち合わせ後、昼はスウェーデン大使館でのパーティだったので、その場でAi関係者に話を持ちかけたら即座に同意が得られた上に、翌週月曜に医師会で小児画像研究会が開かれ今村副会長もお見えになるとも聞きました。するといつの間にか隣で山本先生が医師会に電話していて、あっという間に今村副会長も参加OKで医師会会長の承諾も得られました。

 そのスケジュールをお知らせするとHさんは一瞬絶句しましたが、すぐ講談社のカメラマンさんを手配してくれ、場所は医師会が部屋を提供してくれ、と総てがとんとん拍子に決まり、火曜朝に思いついた帯の写真が一週間もたたず翌週月曜夜に撮影終了してしまうという騎虎の勢い。おまけにこの時の研究会は三本目の蜘蛛の糸となり、またしても追加新章を一層の高みに登らせてくれたのでした。

 こういうのを「波に乗っている」と言うのでしょうが、中には「図に乗っている」と思う人もいるでしょう。でも波に乗ること以上に「図に乗れる」ことなんて滅多にない。

 だから「図に乗れる時はズンズン乗れ」というのは私のモットーのひとつなのです。

 白状すると、それはたった今、思いついたモットーなのですが。

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