そんな法医学会主導で、法医学研究所なる施設が全国に乱立したら、市民社会にデメリットをもたらすとんでもない組織になることは必定です。何しろその解剖やAiには、条文上、情報公開の義務が課せられていないのですから、いい加減な司法解剖をしても、捜査情報だから開示できない、のひとことでごまかせてしまいます。
死因は捜査情報ではない。犯人が捕まる前に、メディアが報じているではないか。
この言葉は何遍でも繰り返したいと思います。
今、市民社会が必要としているのは、法医学研究所ではなく、Aiセンターです。Aiセンターは犯罪遺体にも、そうでない遺体にも対応できる、普遍的な施設だからです。そこで犯罪体を振り分け、法医学教室に回せばいい。市民社会の真の安寧のためには、法医学研究所を作る前に、Aiセンターを作った方がいいのです。
百二十万人の日本の死者全員に対し、法医学研究所は絶対に対応できません。こぼれ落ちる例が途方もない多数出現するでしょう。もちろんAiセンターだって死者全員に対応はできません。でも、法医学研究所に掛ける同額のコストを掛ければ、法医学研究所の三十倍以上の症例に対応できることは間違いありません。
日本の死者は今、年間百二十万人です。そして警察が扱う異状死体はその十分の一の十七万人程度。その十分の一の部分に、議論の八割が費やされている。そして法医学者たちは、自分たちへの批判には耳を傾けることなく、自分たちの領域への希望ばかりを述べ立てる。
こうした偏向した死因究明制度の検討会を、バランスのいい議論にもっていくには今春、小児学会から宣言が出るかどうかは、大変重要な意味を持つものになることは間違いありません。
そして内科学会が実施しようとしているパネルディスカッションは、そんな流れに逆行し、医療事故の死亡例だけは別扱いしてくれという、社会から見ると認めがたい要望をし、かつ解剖をベースにすることで、市民社会からの要望に対し誠実に対応するという姿勢に欠けたものになってしまっています。