さて、私がかつてある事象を癒着と書いた、あるいはそうだと思った根拠は、信頼のおける方の一通のメールでした。そのメールが事実なら「これは癒着だ」と思える内容でした。でも、名誉毀損裁判ではメールの内容が事実かどうか、裏付けを取らないと書いてはいけない、と判断されるかもしれません。でもそれは捜査権や強制力を持たない一般人には不可能です。だとしたらそのような司法判断は、こうした批判を封殺する、言論封殺になってしまうのではないでしょうか。そしてそれは、場合によったら公益を損なうことになってしまいます。
さて、そのメールです。これは『ゴーゴーAi アカデミズム闘争4000日』の中にも記載されていますので詳細は本書をどうぞ。
「一般に厚労省の公募科学研究は担当官と主任研究者が事前打ち合わせで研究課題を決めます。多くの主任研究者は内定しています。もうひとつのパターンは先に主任研究者が決定している場合で、厚生省がその研究者のための研究課題を作ります。ですからそれ以外の研究者が公募に応募しても採択される可能性は低いのです。主任研究者は公募時点で分担研究者も決め応募します。これが10月中旬までに決定され、12月中旬までの公募期間となります」
これは信頼できる、それなりの地位の方からのメールです。これを読んで、みなさんはどう感じられたでしょうか。私はこの時、もしメール内容が事実なら、厚生労働省が仕切る公募科学研究は、公募とは名ばかりで、こんな決め方は一種の癒着ではないか、と思いました。
もうひとつ考えてほしいのは、このメールが事実かどうか、厚生労働省に確認を取らなければ記述できないというのはおかしいということです。具体的には私が厚生労働省に、上記の内容は本当ですか、と問い合わせたとして厚生労働省が果たしてすんなり認めるでしょうか。そんなの無理に決まっています。では上記のような内容は、まったくのデタラメでしょうか。そんなはずもありません。その方が見聞した事実を伝えてくれたはずですから。つまり一般市民として、メールの内容が信頼するに足ると思った時点で、事実と見なしてもいいのではないでしょうか。そうとしないと、誰もが警察並みの捜査権限を持たなければ何も表現できなくなってしまうことになります。