海堂尊 - 第四回『このミステリーがすごい!』大賞(『このミス』大賞)大賞受賞作『チーム・バチスタの栄光』の著者

『海堂ニュース』最新ネタ満載!

2011.03.15 2011:03:15:15:05:09

東北関東大震災の所感と、癒着という表現についての考察

 さて二本目。今回は厚生労働省の体質が露わになった興味深いニュースと、癒着という表現に対する雑感です。ちなみに以下を書いたのは3月11日でした。

 

読売新聞・3月4日付けの記事によれば、肺癌治療薬イレッサの和解勧告を巡り医学会が懸念表明を出した件で、この勧告の下書きを日本医学会の会長に厚生労働省の課長が文案として提出していたらしいのです。もしこれが事実なら「学会上層部と厚生労働省の癒着」だ、と言われても仕方がないと思います(我ながら大変注意深い書き方になっている・笑)。医療行政の意見を学術の殿堂から発信するのは、学術学会の独立性が損なわれるような自殺行為ではないでしょうか。この場合、学会上層部には癒着から直接的なメリットを受けたという証明はなかなか難しい。でもこれが不適切な関係に見えるような行為であることは間違いないと私は思います。でも、今日の本題はそこではありません。この件で感じたことについてです。記事によれば、事実関係を調査するため厚生労働省の検証チームが発足したのですが、この検証チームを厚生労働省内部に作るのは、身内意識できちんと調査されない恐れがあります。そういえば厚生労働省は医療事故が起こったら、内部できちんと検証しても外部から信頼されないから、中立的第三者機関を作るよう、働きかけています。であるならばこうした問題もまったく同じことで、厚生労働省内部の問題だから、検証チームは外部委託しないと「市民から信頼されなくなってしまう」のではないでしょうか。医療に要求する高い水準を、自分たちはやらない、なんて厚生労働省は指導官庁の態度としては少々お粗末ですね。

ここまで書いて、「癒着」という表現の問題について、改めて考えています。これは今の日本の言論界が法曹界によって萎縮させられている証拠で、こうしたことを「学会上層部と厚生労働省が癒着している」と断定的に書き、書かれた相手が名誉毀損裁判に訴えると、かなりの確率で訴えた方が有利な判決が出るでしょう。でも、ちょっと考えてほしいのです。「学会上層部と厚生労働省が癒着している」と書いた場合、名誉毀損裁判では「事実摘示」を求められます。ですがこのこと自体、司法が日本語をきちんと理解していない証拠になってしまっているのです。

 

たとえば私が「○○は殺人者だ」と書いたとしましょう。そうなると○○さんが誰を殺したか、事実を掴んでいなければなりません。それは殺人という行為が事実認定できるような、客観的事実だからです。何日に、どこで、どのように殺したか、ということを把握していなくてはなりません。では「学会上層部と厚生労働省が癒着している」という文章で、摘示されるべき事実とは、いったい何なのでしょう。そもそも「癒着している」ということは、何を持って証明できるのでしょうか。癒着という言葉は広辞苑では「分離しているべき組織面が繊維性の組織で連結・融合すること・比喩的に、本来関係あるべきでない同士が深く手を結び合うこと」とあります。ということは、「癒着している」というのは比喩的表現で、事実摘示はもともとできないものなのです。名誉毀損裁判で「癒着という表現が事実摘示を必要とする」をベースにするのは、どうやっても不可能なことを、調査権など一切持たない一般人に行なえ、そうでないと書いてはいけない、と言っているようなもの。つまり、癒着という言葉の使用を抑制する司法判断になるわけです。日本語的には「学会上層部と厚生労働省が癒着している」と私が断定して書いても、義務教育レベルの日本語を理解する日本国民なら「海堂尊は学会上層部と厚生労働省が癒着していると感じているのだな」と読むわけです。それを癒着と思わない人もいるでしょう。でも、私は癒着だと思う。これは論評なので、自由に発言していいのです。「癒着している」と断言しても、内実は「癒着していると感じている」ということしか表現できないのです。これはパクリという表現に関しても同じ構図です。

 

続きを読む 1234567