解剖制度を土台にしたシステム作りは実体として機能せず、それは結局医療現場を苦しめるだけだ、ということが、学会上層部や厚生労働官僚にはどうしても理解してもらえません。
そもそも、このモデル事業について議論するのは、今となっては法律的根拠がありません。
6月、死因究明関連2法案が成立したからです。そのひとつは日本の死因究明制度を根幹から考え直すという検討会を立ち上げています。ということは医療事故だけ特別視したシステムができるはずがないのです。逆にそんなものが成立したら、内閣府が主催する死因究明等推進会議が無意味なものになってしまうのではないでしょうか。
大きな死因究明の枠組みを決める時に、どうして医療事故だけ特別視される法律ができるでしょう。そんなことになってしまうのも、死因究明制度の基本を解剖に置くからです。解剖は縦割りで区分けされ、横断的に機能しません。司法解剖情報は、捜査情報で市民社会に開示されず、病理解剖は司法の世界では証拠能力のない情報として扱われてしまっています。そこに監察医制度のあるところにだけ設置された行政解剖があったのですが、これを拡大させずに、まったく別の仕組みとして法医解剖なる解剖を創設したのが、死因究明関連2法案の片割れです。
さらに医療事故に対する特別な解剖を創設しようとする。
一体何をやっているのでしょうか。医師ならば、解剖という検査を一元的に統一するのが合理的であることくらい、すぐにわかりそうなものなのに。
さすがの私も、解剖の社会制度統一など、提案する気にもなりません。そこで働いている人たちが、自分たちの領分の利益ばかりを考え、公益という観点を考えないからです。そうした人たちに市民社会のための新しい制度を作ることなど無理なのです。
ですからAiを主体に死因究明制度はこれから改築されていくことでしょう。
遅まきながら9月27日付読売新聞の記事を読みました。書かれている内容は概ねまともでしたが、実際の内実について、おそらく法医関係者しか取材していなかったのがありありとわかり、従って新の問題点を見逃している部分もあるので、ここで補足しておきましょう。