海堂尊 - 第四回『このミステリーがすごい!』大賞(『このミス』大賞)大賞受賞作『チーム・バチスタの栄光』の著者

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2011.04.08 2011:04:08:13:44:48

「衣食住」から「医・職・自由」へ。そして寄付をして公言しよう。

 その一例がここでも散々批判したモデル事業と、深山氏が行なった公募科学研究です。深山氏の科学研究は二年で二千万円、使われています。税金が使われている以上、私が出したも同然ともいえる。なので研究実績ゼロで専門外の人間に研究を任せるな、と、科学者としてしごく当然の批判をしました。しかし厚生労働省はまったく耳を傾けませんでした。これでは、納税意欲が薄れてしまいます。

 

しかも科学研究費という、れっきとした税金がむざむざと無駄に使われる恐れが高いと危惧し、公益のために行なった批判を、よりによって東京地裁の畠山稔裁判長は、ほとんど公益性は乏しいとして、一年前一方的な不当判決を下しました。幸い高裁では公益性を認められ半分以上押し戻し、賠償額は半減しました。押し戻しきれなかった部分は「癒着」と「パクリ」ですが、これも言葉の本質から論ずれば、「事実認定」すべき部分でなく「論評」になるので、本来ならこうした判決にならないはずです。人の感じ方によって変わってしまう部分の事実の裏付けなどできるはずがないというのは常識です。

 

事実は「公募科学研究の主任研究官に研究実績ゼロの研究者が任命された」です。つまり、それが裏付けです。さらに裏付け情報を証明しろと裁判所は要求したようなもので、そんなことは強制力のある捜査機関でもなければ不可能でしょう。東京地裁はそんな一般常識とかけ離れた判決を出したわけで、裁判所の判断は結果的に「言葉狩り」になり、憲法で保証された「表現の自由」を侵害してしまった。なので私は最高裁に上告しました。

 

それはひとえに、憲法で保証された表現の自由、発言する自由を守るためです。

名誉毀損裁判は論理的に考えると、大変おかしな仕組みです。損害賠償の民事裁判ですが、損害であれば具体的にどのような損害があったのか実証しなければ、実証主義の司法に適わない。にもかかわらず、損害額認定の裏付けが主観的に行われているのは、珍妙です。

 

貸した金を返せという民事裁判なら、いくら貸している、という事実を裏づける証拠が必須です。でも名誉毀損裁判ではその損害額の算定がまったく裏付けがない。もし私が書いたことに対し裁判所が判断基準としての事実認定を要求するなら、損害部分に関して原告に事実認定の根拠を求めてしかるべきでしょう。ちなみに原告の深山氏は、私の記事が出た後も二年目の公募研究を継続し、病理学会理事に選出され、第百回という記念すべき病理学会の大会会長も務めていますし、当然職を追われたりもしていません。つまり私の言論で「実質的には」まったく不利益を蒙っていないのです。いったい現実的にどのような損害があったのでしょう。

 

一方、深山氏が実施した公募科学研究の結果は、参加した班員からも内容を批判されるようなお粗末なものでした。これは科学研究費という税金が無駄に浪費されて、しかもAiに対する不当な評価につながり、社会経済資源の損失になりました。

 

こうなってしまうことが事前にわかっていた。だからこそ、私は批判した文章を書いた。これこそが公益のための文章というものです。それをおかしい、と判断したということは、司法の正義は市民社会のための正義ではないのかもしれませんね。

 

まあ、正義を振りかざす人間ほど、実は正義から遠い存在だということは、ひとつの真理ですから、仕方がないのですが。

 

 

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