海堂尊 - 第四回『このミステリーがすごい!』大賞(『このミス』大賞)大賞受賞作『チーム・バチスタの栄光』の著者

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2009.02.19 2009:02:19:17:32:51

私に不利な証拠として

 これでは文意は正反対です。語られた内容は同一のはずなので、文意は一致しなければならない。食い違った場合、どちらが正しいかは一目瞭然、当然本人の言葉が正しいに決まっている。
 その取材は『死因不明社会』に対するインタビューでしたので、「ミステリーの土台に司法解剖とか検死があるけれど、その実態と真実を認識したら今のミステリー世界は崩壊してしまう。その時、過去の虚構世界を土台にし続けるのか、それとも新しく知った現実の世界の上に、ミステリーの未来像を構築するのか、という選択を迫られることでしょう」というようなことも同時に申し上げたのです。 その上で「時代小説や警察小説という特集は頻繁に組まれるのに、医療小説という特集はなかなか組まれない。これはそうした記事を書けない書評家が多いからだ。だから一市民として医療の勉強をして、医療小説というジャンルを構築することをお願いしますね」と可愛らしく言ったのです。
 当時私は取材に来た雑誌の編集者に、「医療小説特集を組んでね」とお願いしまくっていました(「オール讀物」、「小説現代」、「小説新潮」、「週刊朝日」など)。ただしフェアでありたかったので、「私の作品は除外していいですから」とも同時に言っておきました。そうしたら「小説新潮」さんが5月号で特集を組んでくれ、それがなんと「小説新潮」60年の歴史の中で初めての医療小説特集で、実は他の文芸誌でもこれまで特集として組まれたことはなかった、ということがわかったわけです。その後、「小説新潮」の試みは11月に日経新聞でも異例の取り上げ方をされていたし、日販さんの「出版展望」という小冊子や、昨年末には「週刊朝日」でも医療小説特集のガイダンスが行なわれました。
 つまり私は絶対に、「自分の作品をミステリーとしてではなく医療小説として読んでほしい」と言うはずがないのです。こう見えても私は毎年、『このミステリーがすごい!』のランキング入りを秘かに目指して書いている、ミステリー作家のひとりなのですから。残念ながらいまだ力及ばずランキング入りの夢は叶っておりませんが、そんな私が自分の作品に対してわざわざ「ミステリーとしてではなく、医療小説として読んでほしい」などとは絶対に言わないのです。もっとも、剣道小説である『ひかりの剣』は当然ながら、絶対にミステリーではありませんが(笑)。
 私が申し上げたのは、書評家の方たちに、もっと医療に対し関心を持ってもらいたい、ということでした。つまり百八十度、逆の話になっているのです。
 この違いは、私の言葉に対しミステリー評論家である池上先生がどう対応するか、と考えればわかります。私の主張に従えば、池上先生は「医療小説というジャンルを確立すべく、医療の勉強をしなくてはならない。その上で医療ミステリーを論じなくてはならない」ことになります。ミステリー評論家の観点から、医療について勉強しなくてはならない。一方、「池上先生から発信された私の言葉」に従えば、ミステリー評論家である池上先生は「新たに医療という分野を勉強する必要もなく、ミステリー評論として海堂作品を取り上げなくてもよい」ことになります。なぜなら、作者本人がそう望んだから。
 これってまったく正反対ですよね。つまり池上先生が伝えた私の言葉は、本人の意思と正反対の結果をもたらすという点から見て、まったくの誤謬なのです。
 まあ、こんなことを言たからといって、書評界全体を敵に回すつもりなど、毛頭ありません。何しろ私は『このミステリーがすごい!』大賞出身の作家なので、書評家の先生方はいわば「生みの親」です。当然感謝はしておりますし、たとえばデビュー作の選評で私の作品を「ミステリーとしては弱いが」と評価した吉野仁さんには、パーティでお会いする際は「今年の『このミス』の短編はミステリーとして自信作だったんすけど、どうでした?」「うーん、だいぶミステリーっぽくなりましたけど、まだちょっと違うんだよなあ」「そんなあ。どこがミステリーじゃないんですか?」などというやり取りを毎年しているくらいなのです(もちろん、今年もしました。結果は、今年も落第・笑)。
 だから、冒頭の池上先生が伝えた私の言葉、「私の小説はミステリーとしてではなく、医療小説として読んでほしい」は100パーセントあり得ない発言なのです。
 そして、実際に『このミス』の選者に関わっている書評家の方たちは、私の書籍を取り上げて下さる時に少しずつ医療の勉強もして、地道な努力をして下さっているのを感じています。
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