海堂尊 - 第四回『このミステリーがすごい!』大賞(『このミス』大賞)大賞受賞作『チーム・バチスタの栄光』の著者

『海堂ニュース』最新ネタ満載!

2009.11.04 2009:11:04:15:19:27

押尾学事件は第二の時津風部屋事件だ。

 先週末テレビ画面を占拠したのは、俳優押尾学被告の麻薬取締法違反での公判でした。薬物使用裁判でありながら、世間の注目は一緒に合成麻薬を使用し亡くなった女性に対するものでした。この事件は日本が「死因不明社会」である一端を垣間見せると同時に、その原因のひとつに、司法捜査の閉鎖性と司法報道の恣意性があるという点で、要因的には「司法制度が原因の死因不明ケース」であり、これはそのクライテリアで言えば、時津風部屋事件と社会構造的に同類に近いのです。
 公判で明らかになった事件概要は、
1)午後三時頃女性と押尾被告が合成麻薬をやった。
2)午後六時頃女性が死んだとして、心臓マッサージをしながらマネージャーや知人を呼んだ。
3)怖くなって同じマンションの別の部屋に逃げ込んだ。
4)午後九時頃、警察を呼んだ。
というものです。これが保護責任者遺棄罪、もしくは保護責任者遺棄致死罪に問えるかどうか、現在捜査中だというメッセージがメディアで流れていますが、捜査当局が正式に発表したかは不明瞭です。

 死亡女性は司法解剖されているのですが、その事実が新聞を中心とした大メディアできちんと報道された形跡が少ない。だから金曜日のテレビ報道も錯綜し、「遺体が戻った時、なぜご自分で解剖依頼されなかったんでしょうね」などという驚くべきコメントも飛び出していました。でもスタジオの人間は誰も訂正しない。一度司法解剖されているというのに、その後何を解剖しろというのでしょう。これがメディアの死因究明制度に対する基本理解度なのか、と呆然と報道を眺めていました。
 そして市民の同情を買っているのが、被害者遺族が死因を知りたいと言っても、教えてもらえない点です。国家命令で強制的に行われる司法解剖の結果が、善良な市民に届けられないのでは、司法解剖は一体誰のためにあるのでしょう。もちろん国家捜査のためですが。
 死因は医学的な真実であり、その真実は捜査状況の一端とは質の異なる情報のはずですが、何しろこうした思考法は明治維新直後に策定された刑法の考え方に根ざしたロジックで、あれから一世紀半近く経過しましたので、素晴らしい科学的進歩や情報革命が起こった時代にはそぐわなくても仕方がないでしょう。ですが、こうした状況を放置し続けると、捜査情報だから死因を伝えられないというのは実は、単に警察関係者に不都合だからからではないか、などと邪推されかねません。
 法医学者が常日頃アピールしているように、市民のため、死因究明制度をきちんとしたいというのであれば、捜査当局を説得し自ら死因を遺族に伝え、社会に発信するべきでしょう。警察捜査の中立性を担保する意味でも、そうした方がいい。警察の要望に従うか、市民の願いを叶えるかという選択肢は、実は法医学者自身の判断でできることなのです。こうした市民感情に反する選択を積み重ねていくと、法医学者が市民から支持されなくなってしまう日も遠くないのではないか、と他人事ながら心配になります。そうなってしまったら困るので是非、ご検討いただければと思うのですが。
 ところで、死因が報道されない理由は、司法解剖を行っても死因不明だったに違いないと推測します。死因が確定されれば死亡と容疑の因果関係がはっきりするので、捜査が続行中という中途半端な結果にはならないはずだからです。上記の事件進行で、法律的には被害者死亡と押尾被告の行動の因果関係は不明だというのが司法の考えです。さすが明治時代に策定された刑法を金科玉条として守り、新しい時代に即した対応をしてこなかった司法と警察らしい、非情なロジックですね。医学、つまり科学的推測論法で考えれば、実は司法解剖で死因が不明だったという情報も有効に機能するのですが。
続きを読む 1234