海堂尊 - 第四回『このミステリーがすごい!』大賞(『このミス』大賞)大賞受賞作『チーム・バチスタの栄光』の著者

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2009.11.04 2009:11:04:15:19:27

押尾学事件は第二の時津風部屋事件だ。

 司法解剖で死因が不明だということは、突発的な脳出血や心筋梗塞が否定されているということです。この「陰性所見」が重要で、三十歳の健康な女性でも、「脳出血や心筋梗塞」というような疾患であれば、突然の発病で亡くなる可能性はあります。もしそうした病気が原因でないとすれば、直前に行われた「尋常ならざる行為」が死亡原因だと推測するのが自然でしょう。この件で、尋常ならざる行為とは何か。常識で考えれば合成麻薬の摂取でしかありえません。こんなの素人が考えても簡単にわかります。
 ところが、司法の世界では、こうした死因の直接の因果関係を証明しなくては罪に問えない、というのす。これが本当だとすれば、日本の法律は犯罪者保護の観点ばかりが強すぎるという危惧を抱かせることになってしまいます。そして司法鑑定の実力は低く、その社会貢献度も低く、信頼がおけなくなってしまいます。何より、被害者遺族という、何の罪もない善良な市民の、ささやかで当然の希望にも応えられない非情な仕組みに成り果てたままになってしまいます。

 ここで本件と時津風部屋事件の類似性を見ていきましょう。本件では、
1)警察官が事件性を見過ごした。一部情報では当初、検視前に事件性なし、と警察関係者が言った、という話も伝わっていますが真偽は明らかでなく、肯定されていませんが否定もされていません。
2)司法解剖で死因が不明だった。
 という構図です。一方、時津風部屋事件は以下のような流れです。
1)警察官が事件性を見過ごした。
2)行政解剖で死因が不明だった。
3)別の法医学教室で再鑑定し、死因を確定した(らしい)
 2)の行政解剖は新潟大学法医学教室で行われた解剖なので、司法解剖と同等、と考えていいでしょう。当時の週刊誌報道で、ある法医学者が「医療現場でCTが行われたが死因がわからなかった。だからAiはあまり役に立たず結局解剖をせざるを得ない」とコメントしていました。そうした流れを受け、警察庁が司法解剖の予算拡充をしようとした動きもありました。ここで考えていただきたいのは、時津風部屋事件では確かにAiを行っても死因は不明でした。でも解剖でも同じく「死因不明」だったのです。この論法はまさしく、前々回のブログでも指摘した「モデル事業」での症例報告例と同じ思考法(Aiは解剖と同程度の診断能があったが、死因不明という不利益部分だけはAi部分にのみ記載された)とまったく相同の構図なのです。
 彼らの主張は以下のように思えます。
1)Aiで死因がわからなかった。だからAiは解剖ほど役に立たない。
2)(後日)解剖でもAiと同様に死因がわからなかった。それでも解剖はAiより有用だ。
 何だ、これ? (笑)
 正直な感想を言わせてもらえれば、解剖してもAiと同等の死因判明しかできないのであれば、その時はむしろ、解剖は有害ですらあります。なぜなら、遺体を損壊しないでわかることを、わざわざ遺体を傷つけ、人手とお金を掛けるというムダを行うことになるからです。
 なぜこんなことが起こるのでしょう。それは彼ら解剖医の仕事のスタイルにあります。解剖医は、遺体が運び込まれてくるところから業務を開始します。彼らにとってAiは事前情報で、それで死因がわからなかったという印象が強くインプットされます。解剖をするとマクロ検索はその場で終わりますが、それで死因がわからなかった時に解剖医はこう考えます。「今のところ死因はわからないが、ミクロ検索を加えればわかるかもしれない」。数ヶ月経過し、ミクロを見た時もやっぱり死因はわからない。すると、「解剖でも死因がわからなかった」という事実認識の輪郭は茫洋とすることになる。「Aiでは死因がわからないじゃないか」と感じるのは瞬時ですが、「解剖をしても死因がわからない」ということは数ヶ月後、のんびりと感じるので、この時は「Aiをしても死因はわからないね」と言ったこと自体すら忘れてしまっているのです。
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