海堂尊 - 第四回『このミステリーがすごい!』大賞(『このミス』大賞)大賞受賞作『チーム・バチスタの栄光』の著者

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2014.09.19 2014:09:19:18:12:30

死亡診断書と死体検案書の区別は無用、または法医学者が信用できなくなった過去の理由と変わりつつある未来について。

 医療事故調査委員会を設置する法案がいつの間にか可決され、来年から施行されます。一度決めたら猛進する官僚機構の悪弊によって日本は太平洋戦争へ驀進したわけですが、そんな体質がちっとも変わっていないことに、恐怖心を感じる今日この頃です。

 法案は通過したけれど中身は空っぽということは、実情通の先生方の共通見解ですが、その肝心の中身を決めるために「診療関連死に関連した死亡の調査の手法に関する研究」なる研究班が新たに立ち上がり、またぞろ以前と同じ様な、不毛な議論が始まってしまいそうです。

 全日本病院協会の西澤寛俊氏が研究代表者となり、参加メンバーは各カテゴリー横並びの5人ずつ。「①医療機能団体」は日本医師会、日本歯科医師会、日本看護協会、日本助産師会、日本薬剤師会の理事、「②医療関係団体」は四病協と呼ばれる全日本病院協会・日本医療法人協会・日本病院会・日本精神科病院協会の会長や理事・全国医学部長病院長会議の委員長、「③医療事故調査団体」は日本医療機能評価機構の副理事長と執行理事の2人、日本医療安全調査機構から中央事務局長と理事会理事と中央審査委員会常任委員の3人、「④学術団体」は内科学会、外科学会、病理学会、法医学会という、モデル事業に関わった4学会からかつてのモデル事業関係者、日本医学放射線学会理事も加わっています。①〜④までは医療従事者がメインで、「⑤非医療従事者」は患者団体が2組、弁護士が3人、有識者3人、計29名の大所帯です。

 でも①・②カテゴリーは名誉職で③から3人も出す日本医療安全調査機構は取材にも応じられない看板倒れの張りぼて組織なので、このままでは体裁を整えただけの会議になること必定です。

 このうち11名はAiについてもよく知る人たちです。まあ、Aiの厚生労働公募科学研究の主任研究者を務め、錚々たるメンバーを集めながら終了5年経っても学会誌の論文にもならないレベルの研究しかできなかった、病理学会理事長が選ばれている時点で、内閣府の死因究明推進検討会とは違って、西澤班は形式主義に堕しているようだと判断せざるを得ません。

 診療関連死モデル事業のコアメンバーも11人と半数近くいますが、事業仕分けされそうになった時、厚労省からAi導入を指導されているので(○ページ参照)、Aiをメインにしたシステムにするのが道理です。でも公募研究で「Aiは解剖の補助検査にすぎない」という結論を出した深山氏が頑張るでしょうし、旧モデル事業関連の人たちもAiアレルギーが相当ひどいため、西澤班の結論は解剖に固執したものになるでしょう。私の予言が当たる確率は高いけれど、医師会の新任委員のお二人は、Aiをベースにしないとモデル事業は立ち行かないということを深く理解しているので、外れて嬉しい私の予言、となるかもしれません。期待しましょう。

 

 さて今日のお題は、「死亡診断書」と「死体検案書」についてです。

 人が死ぬと医師は、「死亡診断書」または「死体検案書」を記載します。薄いハトロン紙に「死亡診断書・死体検案書」と2つ表題が併記されていて、一方を選択し、選択しなかった方を二重線で消します。同じ書類を2通作成し1通は遺族に、もう1通は病院事務に渡します。事務は費用請求に使った後でカルテに貼付します。遺族は役所に持っていき火葬許可証を交付してもらいます。

 その後、役所に提出された「死亡診断書・死体検案書」は郡市区の役所の事務で死亡診断書の枠内の記載事項を筆写し保健所に渡し、保健所から厚労省に行くのだそうです。死亡診断書の用紙自体は厚労省ではなく法務省管轄で保管されているのだそうです。

 ここに問題があります。まず「死亡診断書・死体検案書」の境界がはっきりしていません。入院患者が亡くなれば死亡診断書、死体が病院に運び込まれたら死体検案書であることは間違いない。昨日、訪問診療した人が病院に運び込まれたら、死亡診断書を書く医師が多いでしょう。

 でも1ヶ月前に訪問診療していた患者だったら? 1年前では? こうなると答えられる人はいません。決まったルールがなく、担当者の裁量任せになっているのが現状だからです。でもご心配なく。死亡診断書か死体検案書かは、医師の判断で適当に書いてもまったく問題はないのです。それは以下の事情をお読みいただければ納得していただけると思います。

 

 役所に提出された「死亡診断書・死体検案書」は枠内の情報のみ事務係が筆写し、保健所経由で厚労省に上がります。ところが肝心の「死亡診断書・死体検案書」の選択は、書類の欄外にあるので筆写されません。ですから厚労省は年間、死亡診断書が何通、死体検案書が何通発行されているのか、把握していないのです。見方を変えれば、「死亡診断書・死体検案書」の区別は役所に提出した時点で消滅するので、社会制度的に区別をつける必要はまったくないのです。

 死体検案書の発行数という、公衆衛生の基礎データは、そんな風に杜撰に処理されているのです。そういえばかつて、『死因不明社会』執筆の際、死亡統計を調べるため厚労省に行ったことがあります。解剖データは4〜5年ごとに形式も保存法も違い、大きく薄いフロッピーだとか光ディスクだとか保存媒体もばらばら、とても国の公衆衛生の基礎情報と思えない粗雑な扱いで、年間死者数と解剖数の変遷という単純なデータを調べるのに半日かかりました。厚労省は公衆衛生を軽視しているんだなあ、と当時は思ったものでした。あ、それは今もですが(笑)

 

「死亡診断書・死体検案書」に解剖所見欄があることも問題です。将来はここにAi所見の項を加えるべきだと考えていますが、それはさておき、病理医だった頃は「死亡診断書」が発行されていなければ病理解剖してはならないと病理学会から指導されていました。

 患者が亡くなると担当医は死亡診断書を発行します。遺族の承諾が取れて病理解剖になった時にはすでに死亡診断書の記載は終了しているのです。心筋梗塞だと思っていた症例が、解剖直後に大動脈破裂だとわかれば、遺体をお返しする前に死亡診断書を訂正できますが、病理検索で死因が判明する解剖の1ヶ月後になると、そこに遺族はおらず、書類は正式に役場に受理され、死因票も厚労省に提出済みですので、解剖所見は社会的、医学統計的に無価値になってしまう、というわけです。

 

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