医療小説という新しい観点から、ひかりが当たりにくい作品を取り上げて顕彰するという趣旨で、本を読むことで医療についても考えてもらえるという一石二鳥の企画です。すでに売れている本を更に圧倒的に売ろう、という意図ではなく、意義が大きいと思います。
そう考えて日本医師会に進言したところ、こころよく賛同してくださり、今回で第三回を迎えました。立ち上げに際し私はエージェントみたいな係わり方をしたため、自作のノミネートはお断りしています。
日本医師会と新潮社さんは私を遇してくださり、選考委員にも推してくださいましたが、文学賞を受賞していない身では選考委員の資格はないと考え、それもお断りしました。
要するに、完全に黒子に徹しようと思ったのです。
それならなぜ今回、選考委員になったのでしょうか。
それは第二回の昨年、受賞作なし、という結果を出されてしまったからです。
特に渡辺淳一委員が、すべての作品に×をつけたのが痛手でした。こんなことをされたら、せっかく芽生えかけた文学賞が潰されてしまう。そう危惧して選考委員として参加することにしたのです。渡辺淳一委員がすべての作品に×をつけるのであれば、私はすべての作品に○をつけてバランスを取ろうと思ったわけです。
結局、渡辺淳一委員はみなさんもご存じのように、先日逝去されました。
多くの方がその死を悼んでいますが、私にとって渡辺淳一さんは困った先輩だという印象しかありません。文学賞はお祭りであり、選考はきわめて主観的な要素が強いわけです。すべての候補作を評価しないという判断は、作家としては傲慢としか思えません。文学者としては素晴らしい先生だったのかもしれませんが、少なくとも文学賞の選考委員としては不適格な方だったと思います。
これは死者にむち打っているわけではありません。なぜなら渡辺先生は自分の全存在をかけて受賞作なし、という判断をされたのでしょうから、どのような意見も受け容れるだろうと思うからです。「顰蹙のすすめ」なる本を書かれている先生ですので、後輩の作家の非難なんて、あの世からへらへら笑ってごらんになっていることでしょう。
少なくとも、後進に対しては(男性作家には?)冷たい作家だったと思いますし、晩年の言動を拝見していると、後進のためを考えて下さったという側面はとても少なく、特に昨年の医療小説大賞選考会での言動は、晩節を穢したものではないか、とも思っています。
受賞作なしとすれば、選評を書くのはとてもラクです。おまけに候補作が公表されていなければ、熟読する必要もなく、いっそう簡単で「医療小説といえども文学である以上、高い文学性が要求される。その意味で今回の候補作はその水準に達していなかったと判断せざるを得ない」とか「医療小説である以上、医療に対する、高い専門性を有した作品でなければ文学賞としての独自性に欠ける。他賞と一線を画すためには、これは必須の条件であろう」などという、どうでもいいことをつらつら書き連ねておけばいいので楽勝です。
ちなみに今の「仮選評」のフレーズを書くのに要した時間はたった三分です。
いやはや、これでは選考料泥棒です。
私はかつて一度だけ、渡辺先生にお目に掛かったことがあります。早稲田大での講演会で、私と加藤諦三先生、そして渡辺淳一先生という、すごい面子でお話しさせていただいたのです。持ち時間はひとり一時間だったのですが、一週間前に主催者が困惑した顔で私のところにやってきました。
渡辺先生が「俺は一時間三十分話す」と言っている、いうのです。
それなら私は三十分でいいですよ、と申し上げました。
当日、控え室にご挨拶に行き、三冊くらい既読の著作についてご感想を言いましたが、渡辺先生は「それはどうも」とおっしゃっただけでした。
私と渡辺淳一先生との接点はそれだけです。