作家デビューしても、基本事項は誰も教えてくれません。それは自分がデビューした時につくづく感じたことでした。そうした情報はできるだけ共有したいと思っている作家も多いのではないでしょうか。だからこそ講演ではなく、質疑応答という形を取ったのです。その場に参加した作家の人たちの熱意が感じられたため、かなり突っ込んだことまでお話させてもらいました。一夜限りのライブということで、言いたい放題しました。まあ、いつものことですが。
話を変え、いよいよ本題に入りましょう。
また本屋大賞の季節がやってきました。私は、本屋大賞の「本屋さんが一番売りたい本」というキャッチコピーが無神経に思えるので、コピーを変えてほしい、とずっと要望してきたのですが一向に変わりません。残念ですね。
出版界が低迷し、売り上げがバブル前の水準に戻ってしまったと報道されていますが、本屋大賞は売り上げ低下傾向に拍車を掛けています。
そんなことはない、本屋大賞は売れているではないか、という反論があるかもしれませんが、それは本屋大賞に選ばれた一冊だけのことであって、小説全体を見れば、却って地盤沈下させてしまっているわけです。なぜなら「本屋さんが一番売りたい本」があれば、それ以外の本は「本屋さんがそんなに売りたい本ではない」というメッセージになってしまうからです。すると読者は本屋大賞受賞作だけ読めばいい、と思っても不思議はありませんし、他の本は、本屋大賞以下なので読む価値がない、とみなす人も出てくるでしょう。
本屋大賞の本が百万部売れたとしても、本屋さん全体が総力を挙げて売るわけだから当然です。その裏側で「本屋さんが一番売りたい本ではない」本が、次々に討ち死にしていくわけです。本来、出版業界というものは本来、植林していかなければ滅びてしまうのに、本屋大賞は伐採商法なのです。
昨年の受賞作『海賊とよばれた男』百田尚樹(著)(278.0点)はほぼ一年中、本屋の平台を占拠し続けました。でもその裏で本来なら平台に置かれるべき本が乗りそびれたということです。なので出版界をますます低落させていくことになるでしょう。
その証拠が、昨年2位 『64』横山秀夫(著) (266.0点)です。
ここ三年の本屋大賞候補作で私が唯一の既読作品だった『64』は素晴らしい作品でしたが受賞できませんでした。その結果『64』は本屋大賞が終わった一ヶ月後の五月には、平台からほぼ姿を消していました。大賞とたった12点差しかないのに。