悲惨で痛ましい事件が続いています。しかし不思議なのはこうした事件で犯人が逮捕されていないのに、殺害方法が報道されてしまっていることです。たとえば花火大会の夜に女子中学生が殺された事件では、爪の中に皮膚の残片が見あたらなかったなどという、司法解剖でしか判明しないような特殊な情報が報道されています。
9月14日京都で起こった女性殺人事件では「被害者は首を刃物で刺されており」、「司法解剖の結果、死因は出血性ショック死で、死亡推定時刻は午後七時四十分〜同八時四十分ごろ」と事件翌日に毎日新聞が報道しています。
Aiの情報公開の議論では、死因は捜査情報だからみだりに公表できないと警察関係者や法医学者は言っているのにどうしたことでしょう。学術集会にAiに関する症例報告をしようとしたら、法医学の教授から待ったがかかって演題を取り下げさせられた、なんて話をあちこちで耳にします。少なくとも一部の法医学者がAiの学術的進展を、捜査情報の公開禁止という原則を振りかざして邪魔していることは事実なのですが、表には出てきません。
もちろん捜査本部だって本当に重要な証拠は漏らさないでしょう。ということは死因という情報は、捜査には影響を与える情報でない、と考えられているということです。
ところが警察が漏らす以外では、警察は死因情報に対し、「捜査情報だから漏らしてはならない」という強い態度で接します。これは自分たちが漏らすのはいいけれど、他がそうした死因情報に接触するのは許せない、という狭量な態度にほかなりません。
捜査報道から見て、死因は「絶対に漏らしてはならない情報」とは思われていないことは明白です。であればむしろ「死因はきちんと公開する」という枠組にしないと、いい加減な捜査や適当な司法解剖を監査されたくないがための情報隠蔽になってしまうでしょう。
死因は刑事訴訟法の捜査情報の枠から外し公開する、という枠組にすることは、今の情報化社会では当然の流れです。けれども警察庁やその手先の法医学者は、死因の情報公開に消極的で、法医学研究所なる時代遅れのハコモノを作るために右往左往しています。ハコを作っても中に入る人がいないから、そんなものを作ったところでゴースト団地になってしまうのは間違いありません。