だから巡り巡って、あの歴史的な大惨敗は、現在の官僚制度のやり方に対するノーを意味していたわけです。どうもメディアの方や評論家のみなさんは、そうした事実に気がついていらっしゃらないようです。
これもおそらく、官僚の情報コントロールの高さの賜物でしょう。
でも官僚が自分たちの防衛に走ることで、国体は疲弊し、弱っています。そうなると、その一部である官僚制度だって崩壊してしまうんですけどね。
さて、話はがらりと変わり、最近、文章ということについて考えています。九月になってゲラが連続して襲いかかってきているからです。
久し振りに新刊が出ます。短編集『ガンコロリン』で、五短編が掲載されています。それをリライトしている時に気がついたのですが、その五作品はすべて、小説誌の医療小説特集に寄稿したものでした。医療小説という枠組は、すっかり社会に定着したと言えましょう。足掛け五年の作品を集めた短編集で、ゲラに何回も手を入れてしまいました。花札なら絶対勝利的なくらいの手のかけようです。雑誌掲載時とはまったく別物と言えるくらいの作品になっています。
さらに来年早々、怒濤の文庫化ラッシュが来るので、そのゲラも来ています。文庫三本のゲラと短編集のゲラ、週刊新潮連載のゲラが入れ替わり立ち替わり来たものですから、八月末から九月中旬は、ゲラ月間となりました。合計長編四本プラス週刊誌連載四ヶ月分のゲラが、直っては投げ、直っては投げしているわけですから、もう、何がなにやら。
したがって新しい作品がまったく書けていない状況ですが、三百枚くらいの中編なら、機が熟せば一気書きできますので、今はひたすら、時を待っている状態です。そしてその機は近い。
この地獄の九月の成果は、これから半年の間に炸裂することでしょう。
それにしても、文章というのはゴールが見えないものだと、しみじみと実感しています。