『足利事件』が連日メディアをにぎわせています。DNA鑑定が間違えていた可能性が高いと報道され、犯人とされていた方が釈放されました。唯一の物証のDNA鑑定の本人同定が間違っていたための冤罪だとほぼ確定されたのです。
事件は「司法」が「過ち」を犯し、それをサポートしたのが法医学のDNA鑑定という構図です。報道では法医学者の談話として「当時のレベルでは仕方なかった」というコメントに終始しています。この件では誰も正式に謝罪していないし、謝罪がないことに対する非難もありません。たぶん社会全体に、司法は無謬という思いこみが刷り込まれているせいでしょう。その報道がされた頃、日本法医学会総会が開催されていたのですが、「DNA鑑定過誤」について公式コメントは出なかったようです。法医学者が一堂に会していたのに、何のコメントも出せないとは、法医学会の社会的感度は鈍いと言われても仕方ないでしょう。
一方で検察庁は内部調査チームを結成し、問題点の洗い出しを始めたという報道もされています。
「医療過誤」と「司法過誤」・「鑑定過誤」の概念は近い。「医療」も「司法」も「鑑定」も、根本は人々の幸福を目指している。不幸にして間違えたときは、謝罪が必要になる。「医療過誤」ではその時、医療関係者以外の第三者も入れて検討し、きちんと謝罪せよというのが医療事故調査委員会を構築したがっている行政、遺族、特に法曹界から強力に推進されようとしています。「医療過誤」で法曹界推奨の手法を「司法過誤」の足利事件に当てはめると、その問題点が浮き彫りになります。まず責任者の謝罪がない。当時の司法担当者が誰かさえ公表されていないのは驚きです。内部調査チームに関しても、司法関係者以外の外部メンバーを入れているのか。報道を見る限りそうは思えない。「医療過誤」の際に厳しい対応を要請する司法ですから、「司法過誤」の件で率先して範を示してほしいと思います。足利事件は明瞭な「司法ミス」なのに、「司法過誤」なる言葉は聞こえてきません。「医療事故」があるなら「司法事故」も成立する。さらに司法は「ミス」にどう対応し、検討結果をどう公開するか、明言しません。
2009.06.11
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